真相は闇に?

すっかり日常の記憶から忘れ去っていた『和歌山カレー事件』。
とうとう今日、最高裁で刑が確定したね。
上訴棄却、死刑確定だって。

自白も物証もなく、あるのは目撃証言と、ヒ素が一致したって・・・
ヒ素が同一のものだったとしても、
目撃証言はあくまでも「鍋の近くに立っていた」ってだけで、
「鍋に何かを入れていた」というものではないようだ。

事件当時~逮捕まで、容疑者のキャラの関係もあって
あれこれ話題になったけど、最高裁判決が近付くにつれて、
改めてコトの流れを取り上げるメディアがあって、
読み返してふと思った。



本当に彼女なのか?

単細胞な私なので、とても短絡的かもしれないけど。
法的にどうこうとか、検察側と弁護側の主張がどうとかではなく、
ついでに、遺族の皆さんには申し訳ない意見なんだけど・・・

私が本人たちを実際にこの目で見比べたわけではないので、
あくまでもメディア経由で拾った情報で思ったこととして
流し読みしてください。

「鍋の近くに立っていた」という目撃証言自体が、
本当に被告だったかがハッキリしていないようなのだ。
今はどうだか知らないけど、被告の娘さんが彼女に似ているので、
もしかしたら立っていたのは娘さんだった可能性もゼロではないと。

じゃあ、娘さんか?というと、それはまた別に置いといて。

その時立っていたのが被告だろうと、娘さんだろうと、
いずれにしても、混入作業そのものを押さえられたわけではないから、
そこんとこも別に置いといて。

とにかく、立っていたのが娘さんだった場合。

被告が口を割らない理由になりうるかもと。

自分がやったかやらないかは本人が一番わかっていること。
やったけど口を割らずに、強気で戦い続けて逃れる気マンマン・・・
とも考えられるが、実はそこに立っていたのが娘だと知っていて、
でも、そこで「立っていたのは私ではなく、娘だ!」と言ってしまえば、
疑惑の矛先が娘に行ってしまう。
しかし、「娘がそんなコトするはずがない」と信じていたとしたら?

「犯人は私ではない。しかし、私の娘だってそんなことしない!」

そう思ったら、自分の無実を主張しつつ、娘についても触れずにおくのは
ある種の親心としてありうるのではないか?

自宅にあったヒ素と混入されたヒ素が同一のものだということは
立証されたとなると、被告だって「まさか家族の誰かが!?」と思うかも。
自分が混入したという確たる証拠も挙がらないままだ。
娘と見間違えられた可能性もある。
そうしたら、自分も娘もグレーな状態。

彼女は死刑確定を受けても、まだ戦い続けるとコメントした。

もしかして・・・そうなのかも?
と、つい思った次第だ。

遺族の皆さんの無念を思えば、1日も早く犯人を確定して、
しかるべき罰を与えないといけないとは思うが、
本当に今の状態のままで彼女を死刑にしてしまって良いのか?

もちろん、彼女が相当なタマで、芝居を演じているかもしれない。
でも現実的に、芝居だろうがなんだろうが、崩せる材料が無いのだ。

検察側は彼女が100%クロだと立証しきれていないし、
弁護側も彼女が100%シロだと立証しきれていない。

裁判員制度が始まって、自分が裁判員になった時に、
このテの事件に関わることになったら、
今のような状況で死刑を求めてしまって良いのだろうか?
芝居を見抜けるか、真実を見抜けるか、
検察側、弁護側、双方の立証不足を突っ込めるか?

もし、刑が執行された後になって、
『衝撃の新事実!』という大どんでん返しが起きたら?
遺族の皆さんがおっしゃる「生き返るわけじゃないが・・・」は、
その時、被告にも言えるわけだ。

彼女の一連のキャラで、限りなくクロに近いグレーと感じてしまうが、
本当に、本当に、そうなんだね?と、ちょっぴり心配になってしまった。
検察側や裁判官の判断を信じていいんだね?

娘さんではないにしても、彼女が真犯人を知っていて、
その人のことも突き出せない何かがあって、
最終的に死刑判決が覆ることがないとわかっていても、
戦う姿勢を見せたまま死刑になったとしても、
真実を墓場まで持っていく覚悟があったとしたら・・・

なんか、裁判員になるのって重い気がする。
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by gogofinland | 2009-04-21 22:01 | ぐうたらな日々Tokiossa