孤独とは?

なんだか哲学ちっくなタイトルになってしまったが、
そんな小難しいものでも、自分が今そう感じているというわけでもない。
むしろ、“孤独感”とやらがどんなものなのか、今でもわからなかったりする。

“孤立感”とか“疎外感”とは違うんだろうな・・・とは思うが。
だってこの2つは周囲の存在があって、その中の一員として感じるもの
だろうから。
“孤独感”って、周囲に誰かがいても感じる時は感じるだろうし、
誰もいないからこそ感じることの方が多いだろうし。

なぜこんなコトに思いを巡らせたかというと・・・



大原麗子と山城新伍が亡くなって、その報道の中に必ず“孤独”という
単語が出てきたからだ。
あ、あとは宅急便待ちで、今なんとなくヒマなのもあるんだけど。

まぁ、大原麗子の場合は本当に一人ぼっちで亡くなった、まさに“孤独死”
なわけだが、山城新伍の場合は老人ホームでご兄弟に看取られたとか
いうことだから、周囲に人がいなかったわけではない。

共通点といったら、妻やダンナや子供といった、親兄弟以外の『自分の家族』が
亡くなる前の生活にどちらにもいなかったってことだろうかね。

そう考えてみたら・・・

おぉ、このままいったら私の人生も、最後はこうなるわけかと思った。

どう考えても親は私より先に旅立つわけだし、
弟には嫁AKIや、その頃には子供もいるだろうし、
(もしかして私の方が長生きするんじゃないかというのもある)
そうか~。私には誰もいないんだなぁ・・・

と、改めて知った。

かといって、今までのところ、それを「寂しい」と感じたことはないんだけど。
山城新伍が生前VTRの中で「60歳を超えたら、やっぱり寂しさを感じるように
なってしまった」と言っていたので、いつか私もそう感じる時が来るんだろうかと
ふと疑問に思ったもんで。

そこで、フリダシに戻って。

“孤独”っていうのは、元々誰もいない状態だった私のような場合でも、
年老いた時に感じるものなんだろうか?
配偶者や子供に囲まれた生活を知っているからこそ、
それらの喪失を経験して感じるものというわけではないんだろうか?
つまるところ、理由はどうあれ『一人ぼっち』な状態=『寂しさ』に
なっていくということなんだろうか?

私のように最初から誰もいない状態で、
ヘラヘラと(してるつもりはないけど、実際はしてるかも)生きてると、
仮に年取ってヘラヘラ度が低下して寂しくなっても、
これはもう自業自得としか言いようがないからなぁ。

それに、もしも自分の家族を作っていたとしても、
寂しくない老人になれたかどうかなんて、
想像の域を出ない空想話でしかないから、
「結婚しなかったのが間違いだった!」とは言い切れないしねぇ。

だって、今でもわからないじゃん。
もしもあの時結婚してたら、自分が現実の自分より
今、遥かに幸せな人生を歩んでいたかどうかなんて。
もしかしたら不幸のどん底にいるかもしれない。
子供がバカ者で犯罪者とかニートになってるかもしれない。
ダンナに先立たれて後家さんになってるかもしれない。
密かに『熟年離婚』を目論んでるかもしれない。

『かもしれない』だけでお腹いっぱい。
逆のパターンも同じく。

所詮、未来のことはわからない。
わからないから日々手探り状態で前に進んでいくしかない。
で、最後に出口に到達した時に現実の積み重ねが“歴史”に
なっているという結果論でしかない。
そこで「あぁ、家族がいてくれて良かった」と思うのか、
「一人で(余計な気苦労しなくて)良かった」と思うのか、
「一人じゃ寂しいなぁ」と思うのか、
ホント、最後の最後までわからない。

そんなわけで、いくら考えても納得のいく正解は出てこない。

当たり前だけど。

だから、深く考えても仕方ない。
この先もずっと一人かどうかもまだ確定してるわけじゃないしねぇ。

ただ思うのは、もしも私の最期が大原麗子バージョンだった場合、
頼むから中途半端に朽ちてる真っ只中で発見するのはやめて~!
ということだけだったりする。

何はともあれ、お2人のご冥福を祈って。
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by gogofinland | 2009-08-15 10:46 | ぐうたらな日々Tokiossa